“できるようになる”ことより、
“続けられる私”を育てることのほうが、ずっと難しい。
学び始めの頃の私は、何かに追われているような毎日でした。
「早く一人前にならなきゃ」「ちゃんと理解できるようにならなきゃ」
そんな焦りが、いつもどこかにあった。
学んだことを人に伝えることも多くて、
自分がまだ理解しきれていない部分があると、ものすごく悔しかったんです。
「もっと深く理解したい」「ちゃんと説明できるようになりたい」――
というより、わかっていて当然という意識。
それが私の中の“普通”であり、プライドでもあった。
中途半端なままにしておくことが、何より嫌だったんです。
そんな日々の中で、立ち止まる瞬間が何度もありました。
思うように理解できず、上手く伝えられず、空回りすることも多かった。
それでも、どこかで“止まりたくない”という気持ちがありました。
もう、“自由に働く”どころか、“自由に眠る”ことさえできていなかった。笑
それでもやめようとは思わなかったんです。
完璧に理解できなくても、当時の私はただ必死で続けていました。
今振り返ると、あの時間もちゃんと、
“なりたい自分”に近づいている途中だったんだと思います。
あの頃は正直、すべてが上手くいかなくて、
現実逃避してただけの日も多かったんです。
それでも、なんとかバランスをとりながら手放さなかった。
なんだかんだで、あの頃の自分を褒めてあげたい。
最初にあったのは、“自由に働きたい”という憧れ
Webデザインを始めたきっかけは、“自由に働きたい”という気持ちでした。
PCひとつで、どこにいても仕事ができる。
旅しながら働けるなんて最高じゃん、って思ったんです。
それに、ライフステージが変わっても続けられる仕事なら、
これからの人生も柔軟に生きていける気がしました。
当時は「自由=場所のこと」だと思っていたけれど、
本当の自由は、“自分で選べること”そのものだったのかもしれません。
気づいたときには、「教えること」が自分の中で自然なことになっていました。
ただ技術や情報をそのまま伝えるのではなく、相手が理解できる形に変えて伝えること。
難しいことを噛み砕いて説明したり、
どう言えば相手の中で“ストンと落ちる”のかを考えるのが、自然と楽しかったんです。
だから、Webを学ぶうちに「教える側にまわる」ことも自然な流れでした。
自分の知識や経験が、誰かの背中を押せる。
その実感が、最初のモチベーションでした。
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現実は、理想よりもずっと静かだった
学び始めてすぐに気づきました。
理想の働き方にたどり着くまでの道のりは、思っていたより地味だということ。
デザインツールを覚える日々。
トライ&エラーの繰り返し。
思うようにいかず、焦りや不安がこみ上げることもありました。
それでもやめなかったのは、
“できるようになりたい”よりも、
“できるようになった自分の姿”がイメージできていたから。
案件をこなすようになってからも、
思い通りにいかないデザインや、理不尽に感じるフィードバックに悩むこともありました。
でも、関わる人たちの「ありがとう」に何度も救われた。
その積み重ねが、少しずつ自信になっていったんです。
できるようになった瞬間は、たぶん一度もなかった
「これができるようになった!」とハッキリ感じた瞬間は、あまり記憶にありません。
それでも、振り返ってみると少しずつできることが増えていて、気づけば、前よりも確実に進んでいた。
Webデザインが急に上達したというよりも、
続けていくうちに、自然と力がついていったんだと思います。
私にとって「続ける」は、同じことを繰り返すことではなくて、
日々違うことを楽しみながら積み重ねていくこと。
新しい人に出会い、教え、また自分が学ぶ。
その循環の中で、飽きずに続けてこられた。
気づけばそれが、私なりの“自由”になっていたんです。
“自由に働く”より、“自由を感じながら働く”
最初は、「自由に働く」がゴールでした。
でも今は、「自由を感じながら働く」ことを大切にしています。
会社員かフリーランスか――
それは“働き方”の違いであって、ただの“形”にすぎない。
けれど、その中で積み重ねてきたスキルやキャリアは、
すべて自分で選び取ってきたもの。
やっている仕事も、今の自分に合っている。
でも、これからの10年を考えたときに、
“新しい自分”を見てみたくなった。
だから、働き方の形も、少しずつ自分の感覚に合わせて変えてきました。
“自由”って、誰かがくれるものじゃなくて、
自分で“選び続けること”の中にあるんだと思います。
だから私は今、“自由を感じながら働く”ことを大切にしています。
そして気づいたんです。
“自由を追いかけていた”頃の私は、
完璧を目指して、何かを掴もうとしていた。
でも、続けていくうちに分かりました。
“自由”は、選び続ける日々の中で、静かに育っていくもの。
そしてそれを続けられる私自身の中で、少しずつ形を変えていくもの。
自由って、外に探しに行くものじゃなくて、
続けている時間の中で、静かに育っていくものなんですよね。
おわりに ― 続けている今も、自由の途中
学び始めた頃は、“理想の働き方”を追いかけることがゴールだった。
好きなことを続けていられる瞬間が、
とても自由で、幸せだと思う。
そしてこの“途中”にいる時間も、
悪くないどころか、ちゃんと私らしくて心地いい。
この先の自分をまだたくさん見てみたい――
そう思える今も、ちゃんと自由で、ちゃんと私らしい。

